2014年6月アーカイブ

マンションメーカー

ラフォーレ原宿でとりわけ売れたブランドは、原宿や青山に路面店を構え、テナント店では演出できない店構えをして、ブランドの価値を高めていく。

その一方で、「ラフォーレ原宿」にはいれないメーカーも山のように登場する。

それらの中には、原宿界隈のマンションの一室から生まれたブランドもある。

それはしばしばマンションメーカーと呼ばれ、ファッション業界での成功を夢見る小さなファッションメーカーの代名詞ともなる。

もちろん彼らの成功とは、「ラフォーレ原宿」のような有名ファッションビルにはいることであり、さらには路面に店を持つことである。

一九八〇年代はビギ・グループやファイブ・フォックス・グループが「ラフォーレ原宿」の中心だったといえる。

しかし、バブル経済の崩壊に、流行を追うファッションビジネスは瞬く間に反応し、「ラフォーレ原宿」にはいっているブランドの過半数が、異なるメーカーの新しいブランドに代わる。

それまでいたビギ・グループの多くのモデルご用達ブランドは、代官山などに移っていったのである。

おそらく、経済や社会の動きと密接に関係のあるファッション業界では、十年から多くて十五年くらいしか、一つのブランドがその人気を保つことができないのではないだろうか。

基幹ブランドである「ビギ」


「ラフォーレ原宿」ができた当初は、モデルたちにも人気のビギというファッシヨンメーカーのブランドが中心であった。

基幹ブランドである「ビギ」をはじめとして、「ピンクハウス」、「メルローズ」、「ラ・ブレア」など、ビギグループのブランドがそれぞれテナントショップとしてはいり、賑わっていた。

これらのほかに、山本耀司のブランドや三宅一生の「プランテーション」のような、パリ・コレクションに参加するデザイナーの普及ブランドなどもあった。

また、レディスだけではなく、ジュン(JUN)やヴァン(VAN)を超えたメンズブランドの新しい流行も始まり、当然さまざまなブランドが登場した。

このメンズのブランドでも人気を得たのは、ビギ・グループのものであった。

それはあたかも、自社のレディスブランドに対応させるかのようにいくつものブランドが用意された。

「メンズ・ビギ」、「バルビッシュ」、「グラス・メンズ」などがそれである。

いわゆるDCブランドの華々しい登場が日本のファッション業界に目立って増えたのも、この時期である。

あるブランドがきわだって売れると、当然それを後追いするメーカーやブランドが登場する。

それらのほとんども「ラフォーレ原宿」を中心に知名度を上げていく。

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