2014年5月アーカイブ

ラフォーレ原宿の成功

日本のモデルファッションといえば、世界中に有名な竹下通りである。

原宿は新宿と渋谷に挟まれた交通の便のきわめてよい街である。

小田急線に接続する千代田線が走り、原宿は若者たちの街としてほとんど完成したといえる。

そこに登場したのが、竹の子族である。

今では竹の子族も、彼らの衣装を売っていた店もほとんど目にすることはないが、かつてはファッションの都パリでも彼らのことは有名であった。

「エル」誌にさえ、歩行者天国となった原宿に、あの長くひらひらさせた上着を身にまとった若者たちの集まった様子が、日本の新しい波として大々的に取り上げられたほどである。

彼らが好んで着た服を売っている店も原宿には多くあった。

このような状況の中で、九七八年、森ビルの開発で、ファッションビル「ラフォーレ原宿」が誕生したのである。

「ラフォーレ原宿」ほど、ファッションビルとして成功した建物はないのではないだろうか。

パルコ(西武系)やビブレ(ニチイ系)のようにファッションに強い一つの大手資本が経営したテナント店と異なり、全国的なファッションビルのフランチャイズ化の面では劣っているかもしれないが、その時々に人気のあるもの、とくに若者に受けているものを扱うという面では「ラフォーレ原宿」はきわめてすぐれていた。


モデル 結婚

ファッションビジネスは場所を選ぶ。

なぜなら、ファッションは美しさやかっこよさを競う世界だからである。

東京に例をとれば、ファッションとモデルのメッカは青山、代官山、原宿といってよいだろう。

人気のあるブランドや話題になる店の多くは、必ずといっていいほどこれら三地区にある。

特に、地方から東京進出をめざすファッションメーカーは、東京での最初の拠点に、青山、代官山、原宿を選ぶことが多い。

それだけ、これらの場所はファッションメーカーにとって憧れの街なのである。

そこでファッションビジネスにとってどんなに場所が大切か、原宿を例にとりながら話してみよう。

一九七〇年代初めの原宿は東京でも静かな街の一つであった。

もしその静かさの中に、今あるファッションの街を予見させるものがあったとすれば、まず原宿という街の立地のよさが考えられる。

東京オリンピックの時にできたいくつかの施設(国立代々木プールや、関係者の宿舎に利用されたコープオリンピアマンションなど)や公園、そして都心でもっとも美しい並木が千メートルほど続く表参道通りがあり、その通りに平行して細くて長い裏道があったことが、原宿でのファッションビジネスの可能性を示している。

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